江戸時代の食事
江戸時代の下級武士は一人扶持で、給料で一日5号の米が支給されていました。
また貧しい武士や庶民は、ひえ・あわ・麦などの雑穀を主食にしていました。
地方の庶民ではひえ・あわ・麦などに米を混ぜていただいていました。
下級武士や庶民は一汁一菜が基本でしたが大名になると一汁三菜ですが、来客の時には豪華に振る舞っています。
一汁一菜とはご飯にお味噌汁、漬物一品つくだけです。
商家に奉公していた丁稚は朝はご飯と味噌汁だけで、昼もご飯と味噌汁魚が食べられることもあり、夜はなんとご飯と漬け物だけ、月に1度はお昼に魚が膳に乗ることもあります。
当時は夜は電灯もないので早く就寝するため、夕食も質素だったのです。
肉は精力をつけるための「薬食い」として食されていました。
イノシシは「山くじら」
馬は「桜」
鹿は「紅葉」という名で呼ばれていました。
ただウサギだけは鶏の仲間なので食べても良かったのでウサギを「1羽」と数えるのはその名残なのです。
またこのころ飯屋があちらこちらに出店されて職人や商人からは喜ばれ、一汁二菜が主流となります。
茶屋も出店され茶と餅や団子が庶民の間で人気を得てます。